et cetera
新・人間革命 第19巻
2008/11/08


 戸田城聖の後を継ぎ、創価学会第三代会長となった山本伸一の峻厳な「弟子の道」が綴られている。日蓮大聖人の仏法のヒューマニズムの光をかかげて、世界を舞台に繰り広げられる民衆凱歌の大河小説。

<各章の概要>
【虹の舞の章】1974年(昭和49年)2月、山本伸一は沖縄の天地に立った。沖縄訪問が7度目となるが、本土復帰後は初の訪問である。8泊9日という過去最長の滞在中、伸一は念願だった八重山諸島の石垣島、宮古諸島の宮古島を訪れる。そこで彼は、島々の広布を担ってきた功労の友や青年を励まし、各地で感動の記念撮影会や図書贈呈式、さらに地域に開かれた「八重山祭」「宮古伝統文化祭」や先祖代々の追善法要に出席。時には自らも鉢巻きを締めて喜びに舞う友と一緒に踊るなど、愛する同志のなかに飛び込み、全精魂を注いでの激励を続ける。その真心に応え、離島の友は地域の繁栄へ勇み立つ。沖縄本島の那覇に戻った伸一は、先祖代々の追善法要に続き、沖縄広布20周年記念の総会で“沖縄から世界へ平和の波動を”“沖縄を真の理想郷に”と訴えた。さらに県北部の名護を訪れ、会館開館式や図書贈呈式、郷土芸能文化祭「山原祭」に臨む。こうした激務のなか、伸一は三つの大学会の合同総会に出席。そして全国に先駆けて「高校会」を結成したほか、高・中等部員に“沖縄の心”を継承する戦争体験の証言集の編纂を提案。沖縄の新しい出発を祝福するように、空には大いなる希望の虹がかかった。

【凱歌の章】3月7日、伸一はアメリカ、ブラジル、ペルーの3カ国を歴訪する予定で日本を発った。ところが、ブラジルへの入国ビザが下りず、断腸の思いで渡伯を中止。折から訪問の要請を受けていた中米パナマに向かう。政府高官やパナマ大学総長らとの語らいに続き、パナマのラカス大統領を表敬。これは伸一にとって国家元首との最初の会見となった。また伸一はパナマ会館の開所式や1000人ものメンバーが参加した集いに出席し、皆と共に国歌を歌うなど真心から励ます。引き続きペルーへ。前回訪問の時には警察等の厳しい目が学会に注がれていたが、8年を経て、メンバーは社会に深く信頼の根を張り、状況は大きく変化していた。伸一は、理事長のキシベをはじめ凱歌の友を賞讃。妻の峯子と民族衣装を着て歓呼の同志の輪に入るなど、ペルー広布の先駆者たちを抱きかかえるように励まし続けた。また、伸一は首都リマ市から「特別名誉市民」の称号を受章。そして同市の後援による「世界平和ペルー文化祭」が盛大に開催されたのである。過密日程の疲労で体調を崩しながらも、伸一は南米最古のサンマルコス大学を訪問し、総長や教授陣と教育の未来を語り合う。この総長との友情が源流となり、同大学と創価大学の交流が始まり、後年、伸一に対して南米の大学で初めて「名誉教授」の称号が授与される。

【陽光の章】ペルーからアメリカに戻る途次、伸一の搭乗機は給油のため深夜のメキシコ市の国際空港に着陸。そこで待っていた数十人のメキシコの友と劇的な出会いを果たす。アメリカのマリブの研修道場で彼は、通訳・翻訳に携わる青年たちに通訳の要件を指導。4月1日――日本時間では恩師の祥月命日である4月2日朝、伸一はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で記念講演に臨んだ。海外の大学・学術機関で行う最初の講演であった。表題は「21世紀への提言」。伸一は、現代文明の歪みを明らかにしながら仏法の生命観を展開し、来る21世紀は「生命の世紀」にしなければならないと訴え、大反響を収めた。また海外初となる恩師の回忌法要で、青年たちに師弟の精神を語るとともに、各人の人間革命の指標として、健康・青春・福運・知性・情熱・信念・勝利の7項目を示し、広宣流布に生き抜く人生を念願した。舞台は「サンディエゴ・コンベンション」に移り、良き市民として活躍する友の喜びが弾ける、盛大な全米総会等が繰り広げられた。その華やかな諸行事の間も、陰で支える役員たちを励ます伸一であった。さらに彼は、病床から復帰した草創の友のため、予定を変更してハワイに立ち寄る。出会った一人一人を大切にし、陰の人に配慮をめぐらし、励ましの「陽光」を送った。

【宝塔の章】4月半ばに帰国した伸一は休む間もなく長野や北陸などへフル回転で走った。そのころ、原稿の校正作業に没頭する青年たちがいた。青年部の反戦出版委員会のメンバーである。1972年(昭和47年)11月の第35回本部総会で、伸一は人類の生存の権利を守る戦いを青年部に期待した。その原点は、戸田城聖が世界の民衆の生存の権利を脅かすものは魔もの(サタン)であると核兵器の本質を喝破した「原水爆禁止宣言」であった。伸一は弟子として、生命の尊厳を奪う絶対悪と戦う、この平和思想を広めるため、世界中を東奔西走してきたのだ。その伸一に応えようと、まず沖縄青年部が戦争体験の証言集の発刊に動き出す。凄惨な体験ゆえに沈黙する人々にも、真実を残したいと、誠意を尽くして取材を重ねていった。そして74年(昭和49年)6月、遂に「戦争を知らない世代へ」の第一弾として、『打ち砕かれしうるま島』(第三文明社)が発刊される。続いて広島・長崎の青年部も原爆の悲惨さを世界に叫ぶ証言集を出版。やがて10年余に及ぶ労作業によって、47都道府県を網羅した反戦出版全80巻が85年(同60年)に完結するのである。戦争の非道さを赤裸々に記録し、反戦平和と生命の尊厳を訴える出版に、各界の識者からも共感と賞讃が寄せられた。それは伸一と青年たちとの師弟共戦から生まれた新たな平和運動の潮流といえた。伸一は74年5月、視覚障がい者のグループ「自在会」の座談会に出席し、生命の当体は三世永遠の妙法であり、断じて苦難に負けてはならない、地涌の菩薩として、強く強く、広布の使命に生き抜けと激励。そして、“広宣流布の天空に尊厳無比なる宝塔として、燦然と、誇らかに自身を輝かせゆくのだ!”と心で叫び、題目を唱えるのであった。 

<目次>
虹の舞/凱歌/陽光/宝塔

聖教ブックサービスより>

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