et cetera
「栄光と正義のわが勇敢なる友に贈る」池田大作
2009/07/22


君よ
奥深い壁の彼方に
埋没しゆく
人間になるな!
時代に遅れるな!

いかに
小さき存在であっても
必ず
人間一人一人に
存在の理由があるはずだ。

常に
自分を再び
蘇生させることだ。
自分自身を
現実化させることだ。

過去の遺物に
決して
なってはならない。
いかなる足跡を
残しゆくかが
人生だ!

誰人たりとも
等しく生きゆく
権利のある人間だ。
負けてはならない!
絶対に
後悔する
廃墟の人間になるな!

日常の挨拶が
簡単にできるように
人生もまた
正義であり善であれば
決して
萎縮(いしゅく)する必要もなければ
恐れるものは何もない。

悠然と朗らかに
自分自身に
生き抜いていくことだ!
世間に目を奪われて
また人々に気兼ねしながら
わざわざ
不利な結果に終わるような
自分白身の弱さが
あってはならない。

厳然と完全に
自身の歴史が映りゆく
勇敢なる行動を
開始することだ。
自分自身の
自由と正義と
信念に基づく
歴史の開幕をすることだ。

ドイツの大詩人
ゲーテは言った。
「その日その日の価値ほど、値打ちのあるものはない」

誰人に非難され
見捨てられようが
決然と生き抜き
勝つことだ。
すべての事象を
より偉大なる自分自身の
魂に力をつけてくれる
公式に則(のっと)った行動へ
もってゆくべきだ。

現実は
矛盾多き世界だ。
ともあれ
権力の座にしがみつく者は
卑劣である。
その卑劣な
不正当な支配に
汝自身を
絶対に
崩壊させてはならない。

人生の幸不幸は
地位ではない。
真の幸福とは
人間としての
正当な探さであり
正義の固い信仰を
貫き通していく人だ。

古代ローマの
哲学者セネカは叫んだ。
「自分のことをのみ考え、あらゆることに 自からの利益を求める者は、幸福ではありえない。
自からのために 生きんと欲するなら、他人のために生きよ」

君には君の持論がある。
また私には私の持論がある。
そのそれぞれの持論が
生きた体験からのものか
ただ独善的なものか
人を陥れるものか
特別な意味を持たない
ただの形式的な持論であるか
虚栄と欺瞞(ぎまん)のための
持論であるのか
その人の持つ背景は
さまざまであろう。

要するに
私が言いたいのは
人間主義に基づく
正当性が薄弱でない
最大限の正義と努力を
内容とした持論を抱くべきだ
と訴えたいのだ。

そこには
不愉快な響きもない。
その発言は
特異な
そして複雑な
葛藤(かっとう)をつくり出す
現実の作業であってもならない。

他の人間的現実との相違を
完全に明らかにしながら
人生を生きゆく
自分自身の正当性を
創りゆくことだ。

フランスの思想家
モンテーニュが語った。
「あらかじめ 死を考えておくことは 自由を考えることである」

人生は
生老病死が法則である。
いな
宇宙の万物すべてが
生老病死である。

故に
生命と宇宙の
一致合体の法則である
大仏法を信仰することは
最も正しい
人間究極の行動なのである。

故に私たちは
広宣流布という戦場で
死にたい。
勇敢に戦って
満足し切って死にたい。

奥深い悲しみなど
何も持たないで
願望を達成した
最高の満足の笑顔で
この一生を飾りたい。

友よ
逃げ隠れしてゆくような
卑怯者にはなるな!
いかなる残酷な
仕打ちにあっても
幸運の勝利の風に
吹かれながら
勇敢に戦うのだ。

祖国もいらない。
儚(はかな)い名誉もいらない。
栄利栄達も
まったくいらない。

正義の
美しき強い魂を
持ちながら
澄んだ星々に囲まれ
実しい曲を聴きながら
さらに
不滅の太陽の光に
包まれながら
悠然と勝ち誇って
この世の劇を終わりたい。

友よ!
あの日の誓いの
燃え上がる
希望と信念を
一生涯 忘れるな!
病的な
重苦しい毀誉褒貶(きよほうへん)の
発散の毒に侵されるな!

今日も
正義のあの鐘が鳴っている。
我を忘れて
あの誓いの鐘を
聞き逃してはならない。

中国の文豪
魯迅(ろじん)先生は
かくの如く社会に訴えた。
「今の青年に いちばん大事なことは『行』であって『言』ではない」

そしてまた
「天才を虐(しいた)げ殺すのは、そもそも人間社会の常」
「いやしくも、文名のある者は、大抵みな、人の誹誇を受けている」

あの 我らを!
そして
君たちを嫉妬し狂った
今は不安げな幽霊たちを
哀れんで見よ!
きつい寒気の後悔に
泣き狂っている
あの人間の姿をした幽霊たちよ!

悲嘆にくれ
絶えず
がたがた震えて
泣き悲しんで人生を送りゆく
我々を弾圧した
あの敗北者の姿を
見下ろし給え!

我々は勝ったのだ!
君もまた勝つのだ!
小さな声の
我らの歌はない。
大いなる声で
我らは勝利の歌を
歌うのだ。

善悪の境がない
危うい社会にあって
幸福の歴史を創りゆくのだ。
我らは決して
わが信念を
悲しく溺れさせる
愚か者になるな!

ヴィクトル・ユゴーは
力強く訴えた。
「罪悪は 唯一瞬にのみ 輝くものである。
直ちに凋落(ちょうらく)する」

我らを圧迫するものは
邪悪であり
罪悪であり
その結末は
猛火の中に叩き入れられ
悶え去っていくにちがいない。

これが
生命の法則であり
因果の法則であり
三世を通暁(つうぎょう)した仏法の
厳然たる哲理である。
ゆえに我らは
恐れるものは何もない。

私の最大の名誉である
わが勇敢なる君たちの
響きわたる誇り高い名前は
誰に記憶されなくとも
永遠に残る。

喜びも悲しみも
辛くても苦しくても
君たちの人生と広布への
新しき毎日の出陣は
その熱心さの姿で
魂の渇いた人たちまでも
歓喜に満たし
自身の約束通りの
信念の道を
再び進みゆき給えと
励ましている。

晴朗(せいろう)なる夜空に
月光の輝きが
あまりにも美しく
君たちの姿を
そして
神秘と平和を包んでいる。

いずれの時代にあっても
真の仏法者は
絶対に戦争はしない。
我らは永遠に
平和主義者なのである。

君たちの魂は
不変と不断の信仰を貫く
若き聖者のごとき
英雄の姿だ。
そこには
決して色褪(いろあ)せることのなき
青春の凛々しき
行動と智慧が
一段と輝いてみえる。

君たちには
名誉や利害の
心の動揺など
まったくない。
故に
いかなる権力者たりとも
いかなる支配者たりとも
恐れない。

生命の尊厳を知りたる
我らこそ
新しき世紀の
時の到来に
バトンタッチをするために
生き抜き
走り抜いているのだ。

社会は常に
陰湿な暗い
喧噪状態(けんそう)が続くが!
君たちは繰り返し
真の生きがいと
人生の深い価値を
奪還(だっかん)せんとして
常に戦っている。

その一歩一歩の
前進に向かいゆく
尊き君たちを
三世の仏天が讃歎(さんたん)し
厳護しないはずはない。

野蛮な
恩を知らない
心の変則者の
中傷罵倒など
気にも留めるな!

君たちには
無限の価値ある
好意と歓喜と感謝の
無数の人々がいることを
決して忘れないでほしい。

いかなる危険が迫っても
いかなる困難な時が来ても
君たちの透徹した眼は
現実を直視しながら
機敏なる価値判断を
そして善悪の判断を
根元的に見つめているのだ。

その使命と行動に
私たちは
ここに真実あり!
ここに
完全な歴史を創る人あり!と
賞讃したいのだ。

幾度となく
あの陰険な連中の
あの軽蔑(けいべつ)した嘲笑(ちょうしょう)
あの憎悪むき出しの怒り
あの傲慢なる
畜生のごとき罵倒
さらにまた
あの嫉妬に狂った攻撃
あの侮辱(ぶじょく)の魔物たちの罵声(ばせい)
そしてまた
負け惜しみの
邪険(じゃけん)な太刀短刀(たちたんとう)で
後ろから脅かす影!

ただ
真実の信仰をした
というだけで
これほどまでに
無数の魔力の攻撃に
襲われるという事実。

しかし
わが友は耐えた。
厳然と耐え
乗り切った。
我らは勝ったのだ!
断じて勝ったのだ!

永遠に勝った証である
勝利と栄光の輝きは
三世にわたって
仏とともに栄え
喜びの生命の流転を
繰り返していくにちがいない。

ああ
勝利のわが友よ
万歳!

おお
勇敢なるわが友は
前進する。
今日も明日も
前進する。
いな
偉大なるわが友は
永遠に前進する。

若きわが友よ
断じて負けるな!
一生涯
悠然と戦い
そして勝ってゆけ!
そこに正義があり
そこに幸福があり
栄光の歴史が
盤石になるからだ。

 二〇〇二年 二月二十七日
  アメリカ婦人郡の日
  並びに
  ブラジル婦人部の日を記念して
  全世界の創価の太陽たる
  尊き婦人部の皆様方の
  益々の御健康と御多幸を
  心から祈りつつ  合掌

    世界桂冠詩人

[一覧トップへ戻る]
©2011 SHINGO