et cetera
5月度「御書講義」 立正安国論
2021/06/01


安穏の世界を築く民衆の連帯を強固に

 一人一人が社会を建設する主体者に――。ここでは、森中教学部長の5月度「御書講義」を掲載します。(は5月25日付5面に掲載)


<御文>
 客の曰く、今生後生誰か慎まざらん誰か和わざらん、此の経文を披いて具に仏語を承るに誹謗の科至って重く毀法の罪誠に深し、我一仏を信じて諸仏を抛ち三部経を仰いで諸経を閣きしは、是れ私曲の思に非ず則ち先達の詞に随いしなり、十方の諸人も亦復是くの如くなるべし、今の世には性心を労し来生には阿鼻に堕せんこと文明かに理詳かなり疑う可からず(御書32ページ18行目〜33ページ3行目)


納得の対話を

 ここから第10段に入ります。第10段は、客の納得と決意の言葉だけで、主人の答えはありません。
 ここでは最初に、客自身が心から納得した内容を表明しています。
 「客は言った。今生のことも後生のことも、誰が身を慎まないことがあるだろうか。誰が心穏やかでいられるだろうか。この経文を開いて詳しく仏の言葉を承ってみると、正法を誹謗する罪はきわめて重く、正法を破壊する罪は実に深い」(御書32ページ、通解)
 客は、心の底から、正法を誹謗し、破壊する罪がいかに重いかを理解したと表現しています。
 本書で問答を始めた時、客は、最初のうちは、根本的な誤りが何であるかを全く理解していませんでした。しかし、主人から、人々の法華経信仰を妨げ、法華経を捨て、否定していく元凶について教わります。最初は反発していましたが、主人が諄々と文証・理証・現証を通して、理路整然と釈尊の真意を歪めてしまう過ちについて説いていく中で、その理由と実態を理解して最後は了解するのです。
 そして、悪侶、悪僧を誡めることとは、謗法への布施を断つことであると納得します。
 続いて、客は、自分たちが誤った判断をしてしまったのは、法華経を誹謗した悪侶、悪僧のせいであり、その罪がいかに重いかを明言します。
 それが次の一節です。
 「私が阿弥陀仏の一仏だけを信じて諸仏を抛ち、浄土の三部経を仰いで諸経を閣いたのは、自分勝手な誤った思いからではなく、先達の言葉に随っただけである。各地の人々もまた同じであるにちがいない」(同33ページ、通解)
 「先達」とは、“自分より先に道に達した人”という意味です。ここでは、具体的には、浄土教を弘めた僧たち、とりわけ、日本の法然を指します。
 更に、客は言います。
 「今世には性心(仏性を具えている心)を消耗させ、来世には阿鼻地獄に堕ちてしまうことは、経文に明らかであり、その道理もつまびらかである。疑うことはできない」(同ページ、通解)
 ポイントは、ここまでの対話で、客が主人の主張を深く理解して、自分の言葉で言い直すほどまで、心から納得しているということです。
 私たちの対話は、まさしく自他共の境涯を高めていく対話であることを教えているのが、日蓮仏法です。そして、戦い抜いてきた学会員のもつ、いぶし銀のような対話の力、境涯の力、信仰の力は、私たちの手本です。
 日蓮仏法は、対話を重視する宗教です。同じ課題や嘆き、憂いを共有するところから出発し、解決や誓い、希望を共有するための対話へと高まっていきます。
 いよいよ、対話による「誓願の共有」が、「立正安国論」の最後の箇所です。

 弥よ貴公の慈誨を仰ぎ益愚客の癡心を開けり、速に対治を回して早く泰平を致し先ず生前を安じて更に没後を扶けん、唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ(御書33ページ3行目〜4行目)


誓いから出発

 「あなた(主人)の慈悲あふれる訓戒を、いよいよ仰ぎ、自分の愚かな心をますます開いていこう」(御書33ページ、通解)
 一つの対話の成就が描かれています。客が、主人を受け入れ、尊敬の念を抱いていることが伝わってきます。
 「速やかに謗法を滅する方策を施し、早く天下泰平を実現し、まず生前を安穏なものとして、さらに没後も救われるものにしていきたいと思う」(同ページ、通解)
 客自身が今度は、“納得”を“行動”に移す決意を表明しています。「速に」と、戦乱を防ぐために、謗法への対策を急がなくてはならないと力強く述べています。
 この対策とは、御文に記された「対治」のことで、それは「立正安国論」の第8段、第9段で、謗法への布施を止めることであると示されています。
 謗法への布施を断つことは正邪の本質を深く知ったがゆえの行為であり、何よりも非暴力の行動です。自分を含め、多くの人々の意識変革があってこそ、実現が可能です。
 目覚めた一人が行動を起こし、周囲の人の意識を変えることで、万人が目覚めていく。ここに道理と智慧に基づく正義の行動があります。
 なおかつ、私たちの立正安国の実践は、今世だけでなく、「没後」、すなわち永遠性をもって、民衆を幸福にしていく究極の智慧です。
 いよいよ、最後の一節となります。
 「ただ自分一人が信じるだけではなく、他の人々の誤りをも制止していこう」(同ページ、通解)
 最後に客は、自分一人だけでなく、他の人々の幸福を実現しようと、自分も新たな対話を開始していく誓いを述べます。
 「立正安国論」は、「主人の発言」でなく、「客の誓い」で結ばれている点が、重要な特色となっています。
 客が新たな行動を起こす。このことに象徴されているように、立正安国に立ち上がる民衆の連帯こそが、安穏の世界を築いていく要諦であると拝されます。
 目覚めた民衆一人一人の連帯があってこそ、本当の意味で立正安国が実現するということです。


人間触発の大地

 池田先生は、第2回本部幹部会に贈られたメッセージの中で、「立正安国」について、次のように教えてくださいました。
 「思えば65年前、あの『大阪の戦い』の中で、戸田先生と私は『立正安国』『立正安世界』のビジョンを語り、未来図を展望しました。
 ――宗教界の王者たる創価学会は、あらゆる分野に真に優れた人材を送り出す、地球民族の平和・文化・教育の柱となる。広く社会を潤し、人類の新しい未来を開く、壮大な人間触発の大地となるのだ、と。戸田先生は、それは、君の総仕上げの時代に必ず到来するだろうと予見され、今その通りの段階に入っております」
 「人材は、広布の実践の中でこそ育つ。苦難の中でこそ鍛えられます。
 試練に負けず、たくましく成長する若き地涌の世界市民たちを旗頭に、『立正安国の誓い』をいよいよ滾らせ、滝の如く『激しく』『撓まず』『恐れず』、そして『朗らかに』『堂々と』前進しようではないか!」(本紙3月1日付掲載)
 「対話の力」とは、どこまでも他者の尊厳性を確信し、信頼と尊敬を根本とするものです。いよいよ、立正安国の対話に、勇んで挑戦しようではありませんか!

<聖教新聞 2021年5月30日付より>

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